※記事に記載された所属、職名、学年、企業情報などは取材時のものです
「日本の科学教育を海外に広めたい」という思いで、グローバルに教育活動を行う研究者がいる。千葉大学教育学部で物理教育を扱う、加藤徹也教授だ。
10年以上前から、アジア・アセアン地域への教育プロジェクトに関わってきた加藤教授。その成果が認められ、令和4年には科学技術分野の文部科学大臣表彰を受けた。
そんな加藤教授は今、独自に開発した「持続可能な」物理教材を相棒に、新たな挑戦をはじめている。 「社会の格差をなくしたい」と活動を続ける加藤教授の挑戦を追った。
日本型の実験教育を東南アジアに広めたい
――最初に、先生の研究分野と内容について教えてください。
私の専門は物理教育です。現在は特に、物理の導入教育の海外展開に力を入れています。
具体的にはフィリピンやベトナム、インドネシア、カンボジアなどの東南アジア地域に行き、教員や教員志望の学生に対して私たちが開発した物理実験教材を使った授業を行うことで、日本型の教育を世界に広めようとしています。さらに、私たちの研究室に東南アジアの学生を受け入れて、実験室の設備見学をしてもらう取り組みも行っています。
――日本型教育のどういった点を広めようとしているのですか?
日本型教育の特徴のひとつは、実験を起点に考えさせるという手法です。日本では理科の授業中にさまざまな実験を行い、子どもたちは自分で手を動かして考えながら理解を進めます。しかし、東南アジアでは実験に必要な設備が整っていない学校が多く、子どもたち一人ひとりが実験できる状況にはありません。
私たちはこれまで、ツインクル プログラム*などの取り組みを通じて、東南アジアの教員から「日本の教育を学びたい」という要望を受けてきました。現在はそれに応える形で、日本で行われている物理教育を東南アジアでも広めたいと考えています。そのために、さまざまな実験教材を新たに開発して東南アジアに持って行き、現地の教員や教員志望の学生に活用方法を指導しているのです。
*千葉大学教育学研究科の大学院生と工学、園芸学など他研究科の大学院生が協働し、千葉大学が誇る先端科学研究をアセアン地域の中高生に展開可能な実験授業へと開発し、現地の学校で英語による授業実践を行う取り組み。
――これまでにどのような教材を開発されたのですか?
ワイヤレスでLEDが点灯する様子を観察できる “Wireless Power Supply” や、音で電気伝導の有無を調べる “Conduction Checker”、静電気の+-を調べる “Charge Sign Checker” などを教材として開発しました。どれも抵抗やトランジスタ、コイルなどの電子部品を組み合わせて作成できる単純なものですが、物理現象としてはおもしろいものばかりです。
実際にこれらを使った授業は好評で、現地の教員の方々もどんどん実験を進めてくれました。特にWireless Power Supplyの実験では「よく分からないけどおもしろそう!」という様子で、ものすごく歓声が上がりましたね。
現地の人が自分で使える、持続可能な教材づくりを
――先生は、理学分野で博士号を取得されています。その後、なぜ教育の道に転向されたのですか?
私は元々物性物理を専攻しており、博士課程修了後も助手として研究を続けていました。しかし次第に、研究者として基礎研究をきわめるよりも、人とのつながりを意識した研究がしたいと思うようになりまして。その頃、ちょうど千葉大学教育学部で物理を教えるチャンスがあったので、教育分野に挑戦しようと決めました。
――開発された教材を東南アジアに展開する上で、意識していることはありますか?
現地の方々が自分でつくったり改良したりできる、シンプルで持続可能な教材を提供することを意識しています。
もちろん、専門業者がつくったICT教材などを使うこともできるでしょう。実際、高度なICT教材を使った教育プロジェクトを海外向けに展開している団体もあります。
しかし、物理現象は非常にシンプルなので、かんたんな材料、例えばピンポン玉が1個あればおもしろい実験ができます。ICT教材が提供する教育と同じ内容を、よりシンプルな教材で実現できるはずなのです。このような教材は中身がブラックボックスではないので、現地の教員が教材を修理・改良することも可能でしょう。私たちはこのような、現地の方々自身がその地で教育を作り上げるための土台となる教材や経験を提供したいと思っています。
「遊び」を取り入れることで、学びがより楽しくなる
――今後はどのような活動に力を入れる予定でしょうか?
引き続き東南アジア向けの活動を続けていきたいと思っています。コロナ禍で生じた活動の遅れを取り戻し、これから精力的に進めていきたいですね。遠隔地の方に伝えることもできるよう、教材の使い方を説明した動画の作成にも取り組んでいます。 また、今後は磁石やコマといった身近な「遊び道具」を導入学習に取り入れる試みも行う予定です。磁石の引き寄せやコマの回転運動といった身近な物理現象は生徒の興味を引くことができます。最近は教科を横断した教育も注目されはじめているので、美術や音楽の要素を取り入れた物理教材も作成したいですね。やりたいことはたくさんあります。
海外での教育活動を通して、格差のない社会をつくる
――研究を通して実現したい未来や社会は何ですか?
研究活動を通して、国内外の社会に存在する格差を少しでも埋められればと思っています。情報社会の到来によって教育格差は少しずつ減ってはいるものの、現実として、例えば都会と地方、日本と海外の間には利便性などの点でまだまだ格差があります。その格差を敏感に感じ取り、自分で考えて格差を埋められるような教育人材を育てたいですね。
そういう意味では、私たちの取り組みが一番必要とされているのはカンボジアでしょう。ポルポト政権時代に知識人がいなくなった後、教育の復興は進んでいるものの、残念ながら他国に比べてまだまだ大変な状況が続いています。ここに、私たちの活動を通して何とか風穴を開けられればと思います。
――最後に、学生へのメッセージをお願いします。
みなさんは、物理の応用先といえば製造業や情報産業などを思い浮かべるかもしれません。しかし、実際には物理で勉強した内容はより広範囲に応用できます。そのひとつとしての「教育」という分野に気付いてもらえるとすごくうれしいですね。
私の研究室に入っていただければ、国内外のさまざまな教育活動に関わることができます。先ほど紹介した海外活動以外にも、日本の高校生向けの教育に参加することも可能です。物理と教育の両方を、広く探究できるのではないでしょうか。
物理教育やそのグローバル展開に興味を持たれた方は、ぜひ一度研究室に遊びに来てください。
インタビュー / 執筆
太田 真琴 / Makoto OTA
大阪大学理学研究科(修士)を卒業後、組込みSEとして6年間勤務。
その後、特許翻訳を学んでフリーランス翻訳者として独立し、2020年からは技術調査やライティングも手がけるように。
得意な分野は化学、バイオ、IT、製造業、技術系スタートアップ記事。
「この人の魅力はどこか」「この人が本当に言いたいことは何か」を問いながらインタビューし、対象読者に合わせた粒度の記事を書くよう意識しています。
撮影
関 健作 / Kensaku SEKI
千葉県出身。順天堂大学・スポーツ健康科学部を卒業後、JICA青年海外協力隊に参加。 ブータンの小中学校で教師を3年務める。
日本に帰国後、2011年からフォトグラファーとして活動を開始。
「その人の魅力や内面を引き出し、写し込みたい」という思いを胸に撮影に臨んでいます。
連載
日本の科学教育を世界へ
ASEAN諸国で学生がサイエンスの教育を英語で行うプログラム「ツイン型学生派遣プログラム (ツインクル)」の推進など、グローバル人材の育成を目指す千葉大学の取り組みを紹介する。