日本の科学教育を世界へ #1

多文化共生に対応できる教育人材の育成を〜ASEAN諸国の高校-大学-大学院 三者協働教育プログラム開発 千葉大学 教育学部 教授 / アジア・アセアン教育研究センター センター長 野村 純[ Jun NOMURA ]

2023.05.22

目次

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海外にルーツを持つ生徒が珍しくなくなった現代の学校現場では、教師に求められる能力も大きな転換点を迎えている。また、2040年には日本の労働人口は1,100万人不足するとの予測もあり、外国人人材の活用は日本社会の存続に欠かせない。異文化を理解・尊重できる人材育成が急務の中、千葉大学教育学部では10年以上も前からASEAN*で日本の学生が科学教育を行う「ツイン型学生派遣プログラム」を実施し、大きな成果をあげてきた。今回は発案者である教育学部の野村純教授に、日本とASEAN協働のユニークな人材育成開発についてうかがった。

*東南アジア諸国連合 (Association of South East Asian Nations) の略。域内における経済成長、社会・文化的発展の促進、政治・経済的安定の確保等に関する協力を目的とし、現在10か国(インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ブルネイ、ベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジア)が加盟中

国際化が進む日本の学校教育で求められる人材

―日本に在留する外国籍の人口が増え、小中学校でも海外にルーツをもつ生徒が増えているそうですね

日本に住む外国人の数は年々増加しており、2022年は総人口の約2.3%*が外国人です。学校現場も国際化が進み、従来の日本人生徒のみを想定した指導方法からの転換が求められています。そのような流れを受け、教育学部でも多文化共生に対応できる人材育成カリキュラムの必要性が高まっています。

*出入国在留管理庁発表2022年6月末 在留外国人数、および総務省統計局2022年10月確定値より

―教育現場では今、どのようなことが求められているのでしょうか

生徒の文化背景を深く理解し、日本語の習得がまだ十分でない生徒でも授業内容を理解できるよう、言葉のかわりに図で説明する補助教材や実験キットの開発と、生徒のレベルに合わせて教材を使いこなすことのできる人材が求められています。
とは言うものの、ずっと日本国内で育っていると自分の「普通」と世界の「普通」に隔たりがある状況にも気づけません。そこで私たちのグループは2012年より「ツイン型学生派遣プログラム(以下ツインクル)」を始めました。

―ツインクルについて詳しく教えてください

ASEANの高校へ千葉大学の大学生と大学院生を派遣し、サイエンスの授業を英語で行う留学インターンシッププログラムです。ツインクルがユニークなポイントは2つあります。まず1つめは、教育学部生と理系の大学院生2名ずつの4名ユニットで行う点です。教材は理系院生の専門分野である世界トップクラスの先端科学研究をベースに、音楽、デザインなどを取り入れたSTEAM*方式で学生自身が開発します。千葉大学では世界レベルの研究が多数行われており、ASEANの高校生が最先端の研究に触れる機会を創出しました。

2つめは、ASEAN諸国に赴く、つまり大学生・大学院生が異文化に身を投じマイノリティとして授業を行う点です。非常にハードな経験ですが、自分たちの力で困難な状況を乗り越える覚悟が生まれます。

*Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学・ものづくり)、Art(芸術・リベラルアーツ)、Mathematics(数学)の5つの単語の頭文字を組み合わせたもの。2000年代に米国で始まった教育モデルで、科学技術や数学的な知識・技能を習得させつつ、さまざまな課題をクリエイティブに解決し、新たな価値を創造・実現していくための人材育成を目指す。

―なぜ、ASEANをパートナーに選ばれたのですか?

ツインクルを立ち上げた2012年ごろは、世界での日本の存在感がだんだんと薄くなっていった時期に当たります。一方、ASEANの教師層は留学などで日本とつながりを持つ方が多く、日本の科学技術に対する信頼や文化への親しみを持ってくれています。少子化による労働力減少が懸念される中で、ASEANの優秀な人材を確保するためにも、次の世代と日本とのつながりを維持しなければという使命感がありました。 また、ASEAN諸国は平均年齢が若く将来性に満ちていますが、教材や実験器具が不十分な学校も多くあり、個別で支援をされていた先生方がすでにいらっしゃいました。そうした方々に声をかけて誕生したのがツインクルです。

相手に合わせた柔軟なコミュニケーション能力を育む

―教育学部生だけでなく、理系の院生もプログラムに参加するのですね

「授業するのは教育学部生だけでよいのでは」という声もありました。しかしツインクルの真の目的はコミュニケーション能力の育成にあります。
教材開発において、理系院生は研究の独自性や先進性をメンバーに分かりやすく説明する力が求められます。しかし日本では理系と文系が早くから分かれてしまい、同じ日本語話者なのに「言っていることが分からない」状況に陥ります。ミスコミュニケーションが重なると教材開発は暗礁に乗り上げてしまい、うまくいきません。
教育現場に限らず、多様な文化背景を持つメンバーと仕事を進めなければならない現代において、相手に合わせたコミュニケーションは誰もが身につけるべき基本かつ重要なスキルです。

教材開発をする学生チーム (2023年4月フィリピンで実施したツインクルプログラムから)

国内では理系/文系と心理的に区別していた学生たちも、ASEANの学校を訪問すると日本の代表という自覚が次第に芽生えます。最初は上手に授業ができず、現地高校生の食いつきもよくない現実に直面しますが、お互いが歩み寄り必死にブラッシュアップする過程で真のワンチームとして成熟を迎えます。

―学生の熱気が伝わってきます。実際のテーマと教材開発の経緯を詳しく教えてください

今年3月に訪問したフィリピンで「土壌生物の多様性」を扱ったチームがありました。まず土壌に生息する生物を観察し、その豊かな多様性を体感します。一方フィリピンで行われているプランテーション農業は、熱帯雨林の破壊や土地の荒廃を招き多様性を低下させている事実を理解してもらいます。その課題解決策として、森林を適切に管理しながら複数の作物を育てるアグロフォレストリー*へと展開していくという授業になりました。科学から社会、ミクロからマクロへと視点を拡げていっており、政府が推進している文理融合・横断教育そのものだと感じさせられました。

*樹木を植栽し、そのあいだの土地で農作物を栽培する多様性を重視した農業。土地を有効活用し、森林の保護と作物栽培の両立を図る。

訪問国の生徒を夢中にさせるためには、親しみやすいテーマとレベルの設定が重要です。そのために、日本での教材開発の段階で、訪問国から来日した留学生にチェックしてもらい、学習内容、レベル、文化、宗教のタブーに配慮した内容に修正します。千葉大生たちは日本と訪問国でその国の人々と深く交流し、異文化への理解とリスペクトを生む機会にもなっています。過去には複数回参加した生徒もいるほど、ユニークで豊かな経験ができるプログラムです。

教材開発をする学生チーム (2023年4月フィリピンで実施したツインクルプログラムから)

―先生はプログラムの期間中、どのように関わるのですか?

教材開発でストーリーの組み立てを軌道修正する程度です。教師側からのお仕着せではなく、学生が自ら考えて手を動かすことに意味があると考えています。
また、どれだけ事前準備をしても参加者の急増など予期しない事態が発生するものですが、そこでも必要以上に手出しはしません。千葉大生たちは初めこそとまどっていますが、次第に状況に合わせて対応できるようになります。この柔軟性こそが多文化共生時代には重要だと考えています。

アジアの科学教育拠点を目指して

ツインクルは毎年大好評で、現地教職員の口コミで広がりオファーが絶えないという。ASEANの高校生2万人に対して実施し、アジアにおける科学教育の発展に貢献した実績により、令和4年度 科学技術分野の文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)を受けた。
インタビューの最後に、将来の科学教育への展望を伺った。

私に1つだけ才能があるとすると、「つながらないものをつなげる力」です。アイデアやリソースを全てオープンにして、賛同・共感してくれる方を見つけてネットワークを作っていくのです。立ち上げは本当に苦労しましたが、今では千葉大学の総合力を生かした科学教育プログラムに育っていったという実感があります。 教員の養成、そして教員のグローバル化を推進する目的で、アジア・ASEAN教育センターを2018年に設立し年次集会を毎年千葉で行っています。ツインクルに携わったASEANの教員たちが集まり、最先端の科学教育に関する情報共有の場となりました。千葉には日本の玄関口・成田空港もあり恵まれた土地です。将来的には千葉⼤学がアジアの科学教育拠点として、研究や実践、そして⼈の交流の要となることを⽬指しています。

インタビュー / 執筆

安藤 鞠 / Mari ANDO

大阪大学大学院工学研究科卒(工学修士)。
約20年にわたり創薬シーズ探索から環境DNA調査、がんの疫学解析まで幅広く従事。その経験を生かして2018年よりライター活動スタート。得意分野はサイエンス&メディカル(特に生化学、環境、創薬分野)。ていねいな事前リサーチ、インタビュイーが安心して話せる雰囲気作り、そして専門的な内容を読者が読みやすい表現に「翻訳」することを大切にしています。

撮影

関 健作 / Kensaku SEKI

千葉県出身。順天堂大学・スポーツ健康科学部を卒業後、JICA青年海外協力隊に参加。 ブータンの小中学校で教師を3年務める。
日本に帰国後、2011年からフォトグラファーとして活動を開始。
「その人の魅力や内面を引き出し、写し込みたい」という思いを胸に撮影に臨んでいます。

連載
日本の科学教育を世界へ

ASEAN諸国で学生がサイエンスの教育を英語で行うプログラム「ツイン型学生派遣プログラム (ツインクル)」の推進など、グローバル人材の育成を目指す千葉大学の取り組みを紹介する。

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