#次世代を創る研究者たち

「暴れ馬」カルベンを乗りこなせ!~エネルギー負荷の低い医薬合成で創薬を 千葉大学 大学院薬学研究院 准教授 原田 慎吾[ Shingo HARADA ]

2025.06.16

目次

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※記事に記載された所属、職名、学年、企業情報などは取材時のものです

化学反応で特に活発に働く高活性炭素種のひとつ「カルベン」の激しい反応性に魅了され、制御技術の開発に挑む、大学院薬学研究院の原田慎吾准教授。カルベンと金属触媒が持つ特性を活用して複雑な分子を迅速に合成し、医薬品開発や産業界へイノベーションの種をまく。深く思考し、逆境を力に変えながら挑戦を続ける研究哲学とは──キャリアの軌跡と未来への展望を伺った。

「考える仕事」にあこがれて研究者へ

人の体は炭素などの原子が結びつき構成されています。一方で、意識や自我はどこから生まれるのか、原子レベルで考えてみてもよくわかりません。その完全には理解できない感覚に妙な魅力を覚え、化学に惹かれていきました。

学部学生時、人体を構成する元素の中で最も多い炭素に注目し、有機化学の研究室を選びました。教授が問いに対してじっくり考え抜いている姿にあこがれて、研究者になりたいなと思うようになりました。有機系のラボはウェット(実験)とドライ(PCでのシミュレーションや解析)のバランスが気に入っています。

現在の研究テーマは、千葉大学に赴任してからスタート

千葉大学へ着任する前に、教授からかけられた言葉が「学生時代と関連した研究はしてはいけない。絶対に違うことをしなさい」でした。最初の約2年間は本当に苦労しましたが、共に取り組んでくれた学生たちの粘り強い努力や、周囲の教授・准教授の先生方の支えによって研究の結果が出始め、6〜7年後には研究の基盤ができました。若いうちにオリジナリティを確立し、新しいことに挑戦できたのは大きな財産です。

「過激」なカルベンを手懐けて革新を巻き起こす

最も挑戦的な研究の1つともいわれる、「過激」な化学種「高活性炭素種(カルベン)」を研究対象に

カルベン (carbene) の化学は、大学の学部生が使う有機化学の教科書ですら1~2ページ程度しか触れられない、かなり専門性が高い分野です。
ラボの学生さんが行っていたカルベン反応の実験で、意図せず興味深い生成物が得られたのが事の発端でした。「よく分からないけれど、面白そうだ」と好奇心を抑えられず深掘りしてみたところ、どんどん展開してもう10年以上カルベンを研究しています。

カルベン:通常の炭素原子は4つの結合(手)を持っているため安定している(左)が、カルベンは異例的に2つの手しかない(電子が足りない)ため、とても不安定で反応性が高い(右)。

通常、炭素は4つの手(=電子)を持っていますが、カルベンは2つの手しか持っていません。手が足りないため、かなり不安定な状態です。安定した4本の状態に戻るためならどんなものとも反応しようとします。
それゆえ扱いも非常に難しく、まさに暴れ馬のような炭素です。しかし、反応しないとされてきた相手とも反応するため、これまでの有機合成の世界を革新する可能性を秘めています。

反応を制御して、目的物を短工程かつ高効率に作る「選択的な合成法開発」が王道の有機合成

カルベンの高すぎる反応性を手懐け、意図した反応を行うように導くのが触媒です。カルベン反応の触媒には金属が使われますが、各金属が持つ特性は異なります。何がどのような反応を触媒するかを正確に予測することは、現代有機化学の知見をもってしても困難です。
今まではロジウム(Rh)が主に使われてきましたが、ラボにある金属一つ一つを実験で確かめてみたところ、ロジウムより安価な銀(Ag)を触媒とすることで、同じ原料から異なる生成物を作れることを発見しました。

同じ原料から異なる化合物を生成する、金属触媒制御の選択性を示す反応例:ロジウム触媒を用いると、α-アミノ酸誘導体が生成するのに対し、銀触媒を用いると合成法の少ないγ-アミノ酸誘導体が得られることを明らかにした。

新たな反応経路を開拓する中で、レアな骨格を持つ低分子の合成にも成功しました。これらの低分子は新薬になる可能性を秘めており、現在のところ私たちのチームが考案した手法でしか効率的に作れないものもあります。今後この手法により、新薬開発の可能性が広がります。

座右の銘は「貧すれど鈍せず」雑草魂と思考力で逆境を乗り越える

質の高い論文を多数報告し、日本薬学会奨励賞などを受賞。2024年には千葉大学先進学術賞に選出された。どのようなスタンスで研究に取り組んでいるのだろうか

私は本当に“泥臭い” タイプで、難しい環境に挑戦するのが好きなんです。私でも思いつくような仮説なら誰かが既に実行済みでしょう。けれども成功報告がないのは何かそれなりの理由がある。もっともっと考え、他の人がまだ到達していない深さで勝負しようと心がけています。

有機化学実験には高価な試薬や消耗品が必要で時間もかかりますが、多くの若手研究者は使えるリソースが限られています。そのような制約を量子化学計算の導入により、解消しようと検討しました。コンピューターと計算技術さえあればランニングコストは少なく、かつ夜中の時間も有効に使えます。高いレベルのDFT計算*や理論解析ができると、遷移状態などの算出を依頼されることもあり、研究者として強みを一つプラスできました。

*密度汎関数理論(Density Functional Theory:DFT)に基づく電子状態計算法。電子密度やエネルギーなど、分子の物理化学的性質を予測することが可能。

1歳と3歳の子育て中。最大の課題は研究時間の捻出だ

1日の時間を朝・昼・夜に分け、集中力を維持しながら仕事に取り組んでいます。自分はあまり集中力が長く続くタイプではないので。夕方一度帰宅し、子どものお風呂と食事を済ませた後、再び研究室へ。家族そろって晩ご飯を食べられるっていいなと思います。研究も大事ですけれど、残りの人生を考えたときに、研究だけじゃない方が人生楽しいだろうなと。子どもと遊んでいる間に研究のことを考えていると、リラックスしているせいか、いつもと違うアイデアが思いつくこともあります。

最近は学会で託児サービスの導入も検討されるようになってきたので、いずれ学会にも連れていきたいですね。今のところは、学会などで家を空けるときには大学のベビーシッター利用料補助制度を活用させてもらって助かっています。

新しい技術を習得し続け、イノベーションの芽を育てる

千葉大学の薬学研究院に来て、学生さんの優秀さに驚いたという

今のラボには自学自習できるクリエイティブな学生さんが多く、イレギュラーなことが起きても各自で調べ、解決しています。その姿勢にとても助けてもらっています。後輩にも良い影響を与えていて、ラボの文化として継承されているのでしょう。

指導にあたっては適度な距離感を保ちながら学生ファーストを心がけています。可能な範囲内になりますが、本人が希望するキャリアに役立つような研究を題材として、幅広い専門知識・技術を習得できるようサポートします。研究者を目指すなら、若いうちにあえて専門を変えて守備範囲を広げるのもいいですね。

2カ月間の短期留学を活用して技術習得を

これまでに2回海外留学をしました。1回目は酵素技術を学びにドイツのビーレフェルト大学へ。酵素の扱い方を学びつつ、実験の合間を縫ってベルギー、オランダ、フランスと周辺国へと一人旅をしました。
2回目は若手のリーダーが率いるラボを探してアメリカ・イェール大学へ。計算と合成技術の融合に強みを持つ若手研究者と良いご縁を築きました。

自然豊かな郊外にあるビーレフェルト大学(Universität Bielefeld)
学術都市ニューヘイブンにあるイェール大学(Yale University)

留学と聞くと、多くの方は1年間以上の滞在を思い浮かべるかもしれません。たしかに海外での生活経験を積むには、ある程度の期間が必要とも考えられます。とはいえ私は、学生時代の恩師である高須清誠先生がおっしゃった「留学先の研究はあくまで先方の研究。早く戻って自分の研究を行うことも大事。」という考えに従い、技術習得を目的とする短期留学を選択しました。
短期間のほうが時間や費用の融通もききますし、個人的には1年の留学1回よりも、4カ月の留学を3回行った方が技術習得には効果が高いと感じました。

あるいは国内留学も候補に入れてみてください。2024年は北海道大学の創成研究機構化学反応創成研究拠点(ICReDD)でのMANABIYAプログラムに参加して、前田理教授の元で最先端の計算科学を学んできました。何歳になっても新技術の習得を続けていきたいですね。

カルベンは今後どのように活用されるのだろうか

化学工業の世界では、反応スピードが速いまたは合成工程数が少ないと製造コストを抑えられるため、反応速度・工程数の短縮化による低コスト化は大きなインパクトを与えます。実際に、新薬として非常に有用な化合物候補だったとしても、製造に時間がかかりすぎるため候補から外れてしまうものもあります。ラボスケールではあまり問題にならないポイントが、プラントレベル(量産段階)にスケールアップすると大きな課題になることも少なくありません。

カルベンは産業界を救う可能性を持っています。カルベン反応が創薬や材料開発など広く活用される未来を想像して、今日も考え、ひたむきに研究していきます。

● ● Off Topic ● ●

 

先生は意外なご趣味をお持ちだそうですね。

 
 

大学でボクシングをしていました。試合前には減量して、ヘッドギアをつけて戦いました。
今はさすがに脳へのダメージが気になりますから、バスケットボールや筋トレをしています。

 
 

体を鍛えていると、研究生活に良い影響がありそうですね。

 
 

あると思います!長時間かかる有機合成研究には体力も重要です。千葉大学に来て10年以上たちますが、一緒に働いている先生方は体力が相当あるようで、体調不良で休まれた記憶がありません。

 

インタビュー / 執筆

安藤 鞠 / Mari ANDO

大阪大学大学院工学研究科卒(工学修士)。
約20年にわたり創薬シーズ探索から環境DNA調査、がんの疫学解析まで幅広く従事。その経験を生かして2018年よりライター活動スタート。得意分野はサイエンス&メディカル(特に生化学、環境、創薬分野)。ていねいな事前リサーチ、インタビュイーが安心して話せる雰囲気作り、そして専門的な内容を読者が読みやすい表現に「翻訳」することを大切にしています。

撮影

関 健作 / Kensaku SEKI

千葉県出身。順天堂大学・スポーツ健康科学部を卒業後、JICA青年海外協力隊に参加。 ブータンの小中学校で教師を3年務める。
日本に帰国後、2011年からフォトグラファーとして活動を開始。
「その人の魅力や内面を引き出し、写し込みたい」という思いを胸に撮影に臨んでいます。

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