災害から心と体を守る「災害治療学」とは? #2

感染症災害に強い社会づくりを目指し
未来の「見えない敵」と戦い続ける 千葉大学 真菌医学センター 教授/災害治療学研究所 災害感染症研究部門 教授 米山 光俊[ Mitsutoshi YONEYAMA ]

#災害治療学
2022.09.26

目次

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人類の存続に対する「三大脅威」とされる戦争・災害・感染症。これらに共通するのは、環境の激変に伴う見えない恐怖が蔓延し生じる社会の混乱だ。特に、自然災害による食・住環境の悪化や未知のウイルス蔓延から生じる感染症は、拡大の予測がつかない上に可視化も難しく、難しい対処が迫られる。

この手強い「見えない敵」のメカニズムを解明し、対処の緒をつかもうと果敢に挑むのが千葉大学災害治療学研究所・災害感染症研究部門である。この部門長、そして同大真菌医学研究センターで副センター長を務める米山光俊教授に、災害治療学研究所で感染症研究を推進する意義と研究の展望をうかがった。

災害への対処の中で感染症に注目が集まる理由

―はじめに、災害感染症研究部門が設置された背景をおきかせください

きっかけのひとつは、千葉県を中心に甚大な被害が発生した2019年の台風19号(東日本台風)です。これまで災害発生時には、災害による直接的な怪我などの急性期における救命救急が着目されていましたが、この災害により、移行期・慢性期の課題が浮き彫りになりました。感染症の領域でいうと、被災地での悪化した環境での生活が長期にわたり、抵抗力の落ちた体を襲う「日和見感染症」が大きな問題になったのです。このような災害に総合的に対応するため、中山学長の主導で千葉大学内のさまざまな分野の研究者を集結して設置されたのが「災害治療学研究所」です。その中で、感染症についての研究を連携して行うのが災害感染症研究部門の位置付けとなります。

日和見感染症の原因となる病原体はウイルス、細菌、真菌など多岐に渡ります。特に超高齢社会を背景に、普段われわれの身近に存在するカビなどの真菌による感染症が問題になっています。千葉大学には、真菌医学研究センターという、主に病原真菌による感染症の基礎・臨床研究を行っている国立大学で唯一の研究施設があります。ここでは病原真菌の病原性や薬剤耐性などの基礎および臨床研究、また患者さんから分離された病原真菌の収集と国内外の関連研究者への分与などを行なっています。私を含めた真菌医学研究センターの教員が、災害感染症研究部門で活動を開始しています。

※ 平常時には病原性を発揮しないはず病原体が、抵抗力の弱った宿主に対し病原性を発揮し引き起こす感染症をいう

―もうひとつのきっかけとなったのはなんでしょう

台風19号の災害を追いかけるように始まったのが、世界レベルの大災害となり、今なお続いている新型コロナウイルス感染症です。変異を繰り返すウイルスを相手に、次に何が出てくるかわからない状況に対して備えなければなりません。

真菌医学研究センターでは、学内唯一のバイオセーフティレベル3(BSL3レベル)の実験施設を備えています。もとはクラス3に分類される高病原性をもつ病原真菌に対応するための実験施設でした。真菌は自力で増えますが、ウイルスは細胞に感染させて増やす必要があり、細胞培養の設備が必須です。そこで、今回のウイルス拡大に対応できるよう体制を整え、2020年秋から真菌医学研究センターのBSL3施設でも、新型コロナウイルスを扱った研究活動を始めました。

※人間に重篤な病気をもたらす病原体(高病原性インフルエンザ、SARS、MARS、結核、ペストなど)の物理的封じ込めが行える実験施設

70余年にわたる粘り強い基礎研究を武器に「見えない敵」と戦う

―見えないものによってもたらされる災いに対して、どう対応すればよいのでしょう

細菌や真菌、ウイルスといった目に見えないものが広がり、人が倒れていく状況は恐怖を生みます。まだ解明されていないメカニズムも多く、特に今回のウイルスのように変異を繰り返すものは、何が正解なのかわかりません。このため、一部の人の意見が強い主張となり、SNSを中心に誤った情報や思い込みが拡散することもしばしば生じます。感染症への対処には、科学的なメカニズムだけでなく、心理的・社会的要素からのアプローチも不可欠です。

重要なのは、根拠ある解析で得られたデータに基づく判断と行動を促す日頃からの啓発と、感染もしくは発症を抑えるためのワクチン、感染した後の症状を軽減する治療薬をうまく組み合わせていくことです。

―基礎研究と臨床研究の連携によって、見えない敵と戦う知見が蓄積されていくのですね

私たちは70年以上にわたり、この見えない敵と戦うための研究を進めてきました。始まりは第二次世界大戦直後の食糧難の頃です。食物が腐敗するのを防ぐために腐敗研究所が設立されました。その後、生物活性研究所、真核微生物研究センター、真菌医学研究センターと、研究部門や拠点の組織改編を行いながら現在に至ります。

真菌医学研究センターでは現在、真菌、細菌、ウイルスの3種類を扱い、5つの分野で8つのプロジェクト研究が進んでいます。また、2つの臨床系の分野では医学部附属病院の感染制御部と連携して、国内唯一の真菌症専門外来や小児感染症などの臨床活動を行っています。さらに、医学研究院や薬学研究院との連携も深まり、基礎と臨床が一体となった研究が行われているのです。

※病気の原因となる病原体には、真核生物の真菌・原虫、原核生物の細菌と、ウイルスの3種類があり、基本的な構造、感染・増殖方法、大きさが異なる。このため、ワクチン・予防接種や治療法といった対処法も異なる

多彩な領域との連携で感染症研究はさらに飛躍する

―今後どのような展開が期待されるでしょうか

災害治療学研究所では、最新のBSL3レベルのウイルスを扱うことのできる施設を有する研究棟が今年度末に完成予定です。将来的には、マウスなどの動物を扱えるABSL3実験施設も設置し、感染症研究の機能強化を計画しています。

研究所の設立により、災害感染症研究部門が医学だけでなく情報工学や社会学などさまざまな領域と連携できるようになります。研究者同士がつながり、お互いの研究内容を知ることのできるネットワークができたことは大きいですね。これから一緒になるとどんな研究が加速するか、大いに期待しているところです。臨床系の先生方は、現場での診療だけでなく人々の心理や行動の側面からのアプローチも行い、さらに高校生や中学生への出張授業など啓発活動も展開しています。

私個人は、主にウイルス感染応答についての基礎研究を行っていますが、特定のウイルスごとにワクチンや治療薬を考えるのに加えて、そもそも人間がもっている免疫力がどのように調節されているかに注目することで、汎用性の高い予防法や治療法につなげられないかという観点で研究を進めています。

―人間側の抵抗力そのものに着目する考え方は、どのような緊急事態になろうと事業継続させるために対策を打つ組織の「BCP」の構え方とも似ていますね

原因を特定できない中でも、命や健康を守るため臨機応変に行動するための心構えや知識を身につけることは、想定外の災害や未知のウイルスなど、未来を予測できない生活の中で特に重要な備えといえるでしょう。

私たちが本来もつ抗ウイルスの活性化メカニズムを解明することにより、どんなウイルスが侵入しても柔軟に対応し、増殖を抑えることができないか。夢のような話ですが、基礎研究はこれを実現するため、地道に泥臭い歩みを積み重ねていくものです。今回の感染症流行で登場したmRNAワクチンも、ここ20年来の世界中の研究者による知見の蓄積が重なり、短期間で開発できたのです。

災害感染症研究部門は、日和見感染症からレベル3の高病原性病原体による感染症までの研究を基礎と臨床の両面から行える強みを生かし、災害被災地での感染症からも、また災害レベルのパンデミックからも強いレジリエントな社会をつくるため、医学だけでなく工学や社会学などさまざまな領域の研究がつながる結節点(ハブ)になれたらと考えています。これからも、部門や領域を問わず研究を展開し、未来の「見えない敵」と戦っていきたいと考えています。一緒に研究する仲間を募集しています。

※Business Continuity Plan(事業継続計画)。緊急事態に遭遇した際に、被害を最小限に抑えつつ、組織の生命線となる事業を中断せず、被災した場合でも可能な限り早期の復旧を可能とするために事前・事後の対応を定めた計画をいう

(南部 優子)

連載
災害から心と体を守る「災害治療学」とは?

ポストコロナ新時代の災害医療・看護システム構築を目指す「災害治療学研究所」。医学・薬学・看護学だけではなく園芸学や工学、人文社会学などが連携し、新たな社会づくりに挑む。

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