千葉大学国際高等研究基幹・大学院理学研究院の佐藤大気特任助教、高橋佑磨准教授の研究チームは、ショウジョウバエが天敵などの視覚的な脅威に対してどのように反応するかを解析し、恐怖反応とその緩和に周囲の個体の行動が大きく影響していること、そしてそのような個体間相互作用に関わる遺伝的な基盤を明らかにしました。また、恐怖反応の程度に多様性があり、かつ他個体への同調が存在すると、捕食者に襲われづらくなるといった集団としてのメリットが生じることを発見しました。さらに、集団において生じる、「多様性効果」に関わる遺伝的変異を検出する新たなゲノム解析手法を提案しました。
本研究成果は、個体の行動が集団のふるまいにどう影響するか、そのメカニズムや遺伝的な基盤を理解するうえで新しい視点を提供するものであり、ショウジョウバエをモデルに、視覚的な情報が個体内でどう処理され、集団に伝搬していくかを明らかにする重要な手がかりとなります。
本研究成果は、2025年7月7日に、国際学術誌Nature Communicationsで公開されました。
■研究の背景
生物は集団で行動することにより、外敵の察知や回避、効率的な餌の獲得を可能にしています。一方で、そうした集団行動に関わる神経メカニズムや遺伝的な基盤についてはまだ多くが解明されていません。また、生物の形質を規定する遺伝的変異を同定する上では、ゲノムワイド関連解析(Genome-Wide Association Study: GWAS)注1)が近年盛んに行われていますが、従来の手法は個体の形質とゲノム配列を対象とし、集団の性質に適用することは困難でした。そこで研究チームは、天敵などの視覚的な脅威に直面した状況下で生物はどのような集団行動を取るのか、また、その背後にある遺伝基盤や神経機構を明らかにすることを目的として、約100系統注2)のキイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)を用いた実験を行いました。
■研究の成果
研究チームは、まず約100系統におよぶ多数のショウジョウバエを用いて、捕食者を模した視覚刺激注3)に対してハエがどのように反応するかを計測しました。その結果、単独時には刺激に対する強いフリージング(恐怖反応を表す瞬時の動きの停止)を示す一方で、集団時は周囲の他個体の動きにつられて素早くフリージングを解除する、つまり他個体への同調によって恐怖反応が緩和されることが明らかとなりました(図1)。次に、各系統のゲノム配列を用いて、ゲノムワイド関連解析により、他個体への反応性に関わる遺伝的変異の特定を試みたところ、神経の発達に関与する遺伝子が多く検出され、特にPtp99A注4)遺伝子の変異は雌雄両方で検出されました。そこでこの遺伝子に着目し、公開されている発現量データを用いた解析と、関連する視神経機能を操作した個体を用いて行動実験を行なった結果、検出された変異が視神経におけるPtp99A遺伝子の発現量に関与している可能性、および視神経の一部であるラミナ神経における当該遺伝子の働きが視覚的な個体間相互作用に関与している可能性が示唆されました。

次に、集団内の行動多様性の役割に着目し、遺伝的に異なる2系統を様々な組み合わせで混成した集団を作成し、同様の行動実験を行いました。その結果、混成集団の個体は刺激直後に限り、それぞれの単一系統集団の平均値(期待値)よりも強い恐怖反応を示すことが分かりました。そこで、その生態学的意義を探るため、生物の行動を仮想的に再現するAgent-based model注5)を用いて、実際のハエの動きに似せたエージェント(バーチャルハエ)をディスプレイ上で動かし、捕食者であるハエトリグモに提示しました。また、クモの動きに応じてバーチャルハエの動きを操作する(クモが近づくとフリージングする)というAnimal-computer interaction注6)の手法に加え、個体ごとにフリージング時間を設定し、集団を構成する個体がどのように動くとクモに襲われやすいか、あるいはうまく逃げられるかを検証しました。
すると、個体間のフリージング時間に多様性があり、かつ、個体間で行動の同調が生じる条件において、捕食者から襲われづらく、また遠くまで動けるといったメリットがあることが分かりました(図2)。また、これらの現象はAgent-based modelを用いたシミュレーションでも確かめられ、ハエ集団における「多様性効果」は、他個体への同調という相互作用のもとで生じることが示されました。さらに、多様性効果が生じる遺伝基盤を探るため、ゲノムワイド高次関連解析(Genome-wide Higher-level Association Study: GHAS)という新しい解析手法を考案し、混成集団における各遺伝子座内の多様性と、結果的に生じる多様性効果の大きさとの関連解析を行いました。本研究で新たに開発したこのGHASは、個体ではなく集団や個体群といった、より高次の生物学的特性を、その遺伝的特徴にもとづいて捉えるための手法です。GHASによる解析においても、神経の発達に関与する遺伝子が検出され、神経機能の多様性が集団行動の創発性を生み出す可能性が示唆されました。

■今後の展望
本研究では、大規模な行動計測とバーチャル実験により、個体の行動が集団にどう波及し、生態学的なメリットを生み出すかについて、普遍的な洞察が得られました。また、従来の解析手法であるGWASに加え、新たに開発したGHASを用い、個体レベルの行動表現型だけでなく、創発的な集団行動の背後にある遺伝基盤を明らかにすることに成功しました。本研究成果は、ショウジョウバエのような単純な生き物においても、遺伝子や神経の多様性が集団行動や生存戦略に大きな影響を与えることを示す、新たな進化的視点を提示しています。今後は、本解析手法を様々な生物種や生命現象に拡張し、そのメカニズムに迫りたいと考えています。
■用語解説
注1)ゲノムワイド関連解析(Genome-Wide Association Study: GWAS):各個体の形質とゲノム中の遺伝的変異との関連を網羅的に調べる手法。
注2)系統:野外で採集された1個体(雌)の子孫同士で交配を繰り返して維持された交配集団のこと。数百世代にわたる近親交配を重ねているため、個体間の遺伝的なばらつきは限りなく小さく、クローンとみなせる。本研究ではアメリカ・ノースカロライナで採集、確立されたDrosophila Genetics Reference Panelが提供するゲノム配列既知の系統を用いている。
注3)視覚刺激:本研究では、恐怖反応を惹起するため、近づく捕食者を模した視覚刺激として、ディスプレイ上に徐々に拡大される黒円を提示した。
注4)Ptp99A:Protein tyrosine phosphatase 99Aの略。細胞や神経の働きを調整するタンパク質を作る働きをもつ遺伝子。特に視神経の細胞表面で働き、細胞間の相互作用に関わることが知られている。
注5)Agent-based model:個々の生物(エージェント)がルールに従って動く様子を再現して、社会や生態系など全体の動きを理解するためのシミュレーション手法。
注6)Animal-computer interaction:動物がコンピューターシステムやデジタル技術とどのように相互作用するか、またそれをどう設計・理解・応用するかを扱う研究分野。
■研究プロジェクトについて
本研究は、以下の助成金の支援を受けて遂行されました。
・科学研究費助成事業「マルチエージェント逆強化学習による動物の集団形成を制御する意思決定機構の解明」(JP22K15181)
・科学研究費助成事業「個体の不均一性がもたらす集団行動の多機能性:集団行動の高次遺伝基盤と制御」(JP22H05646)
・科学研究費助成事業「コントラリアン生物学の創生:逆張り戦略がもたらす新しい社会均衡のしくみ」(JP23H03839)
・科学研究費助成事業「天邪鬼行動が集団に及ぼす社会的・生態学的影響とその遺伝基盤」(JP23H03840)
・科学研究費助成事業「ゲノムデータ駆動型アプローチによる生態学的動態の高次遺伝基盤の解明」(JP23H02550)
・科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 ACT-X「情動伝染の内的原理の解明と情報操作による恐怖緩和の実現」(JPMJAX24L7)
・日本科学協会 笹川科学研究助成「恐怖反応の創発特性に関する進化遺伝基盤の検証」
■論文情報
タイトル:Neurogenomic and behavioral principles shape freezing dynamics and synergistic performance in Drosophila melanogaster
著者:Daiki X. Sato and Yuma Takahashi
雑誌名:Nature Communications
DOI:10.1038/s41467-025-61313-z