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「社会の病巣を診る法医学」が力を発揮できる組織を目指して~多職種連携で死因究明と児童虐待の防止を図る 千葉大学大学院医学研究院 教授/千葉大学附属法医学教育研究センター センター長 岩瀬 博太郎[ Hirotaro IWASE ]

2023.01.18

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「法医学者による解剖が少ない日本では、殺人や虐待などの犯罪が容易に見逃されてしまう」――死因究明制度や法医学をめぐる問題を厳しく指摘し、政府や社会に対して精力的な提言を続けてきた岩瀬博太郎教授。2014年に発足した法医学教育研究センターとはどのような場なのか、また児童虐待防止にどのような役割を果たしているのかを伺った。

日本の法医学の無力を痛感させられた歴史的事件

――東京大学で地下鉄サリン事件被害者の検死に携わったことが、日本の法医学が抱える問題を実感する契機になったと伺いました

内科や外科のような臨床領域なら薬物やCTなどのさまざまな検査がすぐにできるのに、当時在籍していた東大の法医学教室にはそのようなリソースはまるでありませんでした。

ご遺体が猛毒のサリンを吸い込んでいることは解剖前に知らされていましたが、換気設備なども不十分。さらに、本来なら現在新型コロナウイルス感染症を診療する時に着ているような防護服が必要であるにもかかわらず、今では考えられないぐらいに無防備な状態で解剖せざるを得ませんでした。ご遺体を切開した瞬間、同室の捜査関係者が思わず後ずさりしたことをよく覚えています。

しかし後の2003年に千葉大学に着任したとき、東大の法医学教室はまだ恵まれていた方だったのだと思い知りました。当時は千葉大学だけではなく、日本全体で法医学が現代の医学から取り残された状態だったのです。

――そこから、政府やメディアに法医学の問題を訴え始めたのですね

わずかずつながら制度が見直され、千葉大学でも設備や人員を増やしてきたところに起きたのが2011年の東日本大震災でした。日本で最初に私たちが検死の派遣要請を請け、チームで現地におもむきました。

津波が起きたからといって、被災者の死因が溺死とは限りません。がれきに押しつぶされたことによる外傷死も多かったでしょうし、低体温症で亡くなった人も相当数いたでしょう。

しかし東日本大震災ではあまりの死者の多さに個々に解剖を行う余裕はなく、ご遺体の特徴などから多くを溺死と判定しました。詳細に検死ができれば外傷死や低体温症など、溺死以外の死因究明ができたかもしれません。

法医学の役割は個々の死因を解明するだけでなく、多くの死因の傾向を分析し、社会に対策を促して類似の死を防ぐことです。大規模な災害ゆえの限界とはいえ、十分な死因究明ができなかった東日本大震災での検死は、法医学者としての無力を痛切に感じる経験となりました。

多職種が連携して死因究明にあたるセンターを創設

――テロや災害のような大事件だけでなく、ごく普通の日常でも死因究明が不十分な死者は多いと常々おっしゃっていますね

日本では、事件などの可能性があっても法医学者による解剖に回されることなく、事件性のない事故死や病死として処理されてしまうことが非常に多いのです。

CTで脳内出血が確認され、臨床医によって病死と認定されても、実はその出血を引き起こしたのは覚醒剤などの薬物かもしれません。また突然の病死とされがちなくも膜下出血も、誰かに殴られたせいかもしれません。法医学者による検死をしないと、そうした可能性がしばしば見逃されてしまいます。

死体外表のみから死因を判定している日本の状況を変革すべく、2004年に千葉大学法医学教室ではCTによる死後画像診断をスタートしました。日本の法医学教室では初めての試みです。

もう一つ、私が日本の法医学に必要だと考えていたのは「多職種の連携」です。解剖を行う法病理学者、CTなどを使って死因に迫る法医画像診断学者だけでなく、身元確認に力を発揮する法遺伝学者や法歯学者、さらに、薬物中毒死を突き止めるためには薬学の専門家である法中毒学者との連携が欠かせません。

例えば、今の日本では乳幼児の突然死が解剖もないまま乳幼児突然死症候群とされるなど、死因究明が不十分なケースが統計に含まれていることも深刻な問題です。法医学と小児科が連携して乳幼児の死因について分析を行えば、類似の死を予防するための提言につなげることができると考えています。

そこで法医学教室を徐々に拡充しながら、2014年に「法医学教育研究センター」を立ち上げました。センターには法病理学、法中毒学、法遺伝子学、法歯科学、法医画像診断学、臨床法医学の6つの部門を設置し、多職種が連携していることが誰にでもわかっていただきやすい組織形態にしました。

センター立ち上げ後、医・薬学部の学生にとっても「よくわからない分野」だった法医学に興味を持って加わる学生が出てきたことに、このセンターの意義があると思っています。今後の法医学を支える人材の育成も大きな役割のひとつです。

子どものケガから虐待を見抜く臨床法医外来を開設

――6部門目の「臨床法医学」とは具体的にどのようなことを行っているのでしょうか?

生きている人を診る法医学です。法医学の知見や法医学者としての経験は、生きている人のケガの理由を探ったり、ケガの痕跡を見つけたりすることにも役立てることができます。ケガや病気を「どう治すか」に注力する臨床医とは異なる、法医学独特の専門性です。

2018年にはセンターの臨床法医学と連携する形で、千葉大学附属病院小児科内に国内の病院では初となる「臨床法医外来」が開設されました。主に児童虐待の発見を目的としています。

――虐待している親が子を外来につれてくることはなさそうですが……

大半は児童相談所から依頼を受けて診察に当たります。警察から子どもの傷や怪我の写真を提示され、検証するケースもあります。

小児科医と法医学者がそれぞれの専門知識や技術をもとに分析し、虐待が疑われる場合にはそのように指摘します。虐待の対応には迅速さが求められますが、かといって法医学の人間が「これは虐待に間違いない」などと断言して無実の保護者を冤罪に追い込むようなことはあってはなりません。客観性と慎重さを担保するために、複数の専門家の目で見ることを重視しています。

「社会の病巣を診る」法医学の重要性を社会に伝えたい

――研究の面では今後、どんな展開を目指されていますか?

死後CT画像診断の分野は、今後も千葉大学が日本の先端を走り続けることになるでしょう。テクノロジーの進展にともなってこれまで見えなかったものが見えるようになりますから、研究は今後ますます進むと期待できます。

ただ、死後CT画像の研究だけが進んでも社会を変える力にはなりません。法医学の知見を社会に生かすには、多くの死因究明と分析をもとにした疫学的な発信が必要です。どんどん論文が出せるという研究ではありませんが、非常に重要な仕事だと思っています。

――法医学を題材とした小説やドラマはよく話題になります。法医学に興味をもつ若い世代も多いのではないでしょうか

そうした方が研究者を目指せるよう、私たちが環境を整えていかねばと思っています。

死因が究明されない社会では、犯罪が見逃されてその後の犯罪が抑止されず、無実の人が冤罪に問われやすい社会になってしまいます。それを食い止めるのが法医学の仕事です。臨床医とは異なる「社会の病巣に迫る」法医学に興味を持たれた方はぜひ、この分野にいらしていただけたらと思います。

インタビュー / 執筆

江口 絵理 / Eri EGUCHI

出版社で百科事典と書籍の編集に従事した後、2005年よりフリーランスのライターに。
人物インタビューなどの取材記事や、動物・自然に関する児童書を執筆。得意分野は研究者紹介記事。
科学が苦手だった文系出身というバックグラウンドを足がかりとして、サイエンスに縁遠い一般の方も興味を持って読めるような、科学の営みの面白さや研究者の人間的な魅力がにじみ出る記事を目指しています。

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