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昆虫の独特な体型は「クチクラ (殻)」が決める?~細長い体や丸い体が形づくられるメカニズムに迫る 千葉大学 大学院理学研究院 准教授 田尻 怜子[ Reiko TAJIRI ]

#バイオ研究#昆虫#バイオミメティクス
2023.07.27

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ひょろりと細長いナナフシや丸っこいテントウムシ。いったい何が、種(しゅ)ごとに異なる体の形を作り分けているのだろう? そんな疑問をかかえ、日々、嬉々としてハエの幼虫と向き合っているのが、理学研究院の田尻怜子准教授だ。どうやら、田尻准教授の疑問を解くカギは「クチクラ」にあるらしい。

昆虫の殻は、単なる「鎧」ではないことを発見

――昆虫の「クチクラ(Cuticula)」を研究なさっているとのこと。そもそも、クチクラとは何ですか?

簡単に言うと、体の表面を覆っている殻や皮のことです。キューティクル (Cuticle) とも言いますね。カニやエビなども体全体を殻で覆われていますよね? あの殻もクチクラです。
クチクラはいろんな機能を担っています。柔らかい体を守ったり支えたり、ほかの個体へのシグナルとして発色したり……。そのなかで私が注目しているのは「体型を決める役割」です。

従来、生き物は細胞の集まりなのだから、体型を決めているのも細胞であると考えられてきました。細胞の外に分泌された物質であるクチクラは、細胞の表面をコートしているだけだという考えです。そのため、クチクラに覆われた生き物が体全体を大きくしたいときや変形したいときにはクチクラが邪魔をしてしまう。だから昆虫も、エビやカニも「脱皮」をすることで成長していくのだ、と言われてきました。

でもショウジョウバエでは、幼虫が急速に成長する(孵化してから数日間で体重が約百倍になる)間に脱皮は2回しか起こりません。脱皮と脱皮の間にも体はどんどん成長していきます。また細長い体の幼虫からずんぐりした蛹(さなぎ)になるときにも、クチクラを脱ぎ捨てることはないんです。そこが不思議だった私は、さまざまな遺伝子が変異したショウジョウバエの幼虫を使って実験をしてみました。

すると、クチクラを作る遺伝子のうち、ある1つが変わるだけで、幼虫や蛹の体型が、変異のない個体よりも細長くなったりずんぐりしたりすることがわかりました。クチクラはいわばコルセットのように働き、積極的に「体型をコントロールする存在」だったのです。

「生き物の形」への疑問から、ハエにたどりついた

――「昆虫の殻」のイメージを覆す発見ですね。ところで、田尻先生は昆虫が好きでこの研究に進まれたのですか?

出発点は、昆虫に限らず「生き物の体の形はどうやって決まるんだろう?」という疑問でした。高校で生物部に入ってカエルやイモリを飼育していたのですが、同じような丸い卵から、最終的にはカエルになったりイモリになったりするのが不思議でならなくて。

しかも必ず親と子がほとんど同じ姿になる。ということは、その姿形は遺伝子が決めているわけですよね。遺伝子がどう働いてその生物特有の形を作っていくんだろう、という疑問から、大学で生き物の形に関する研究をしている研究室に進みました。

その研究室では、ショウジョウバエを使って遺伝子の研究をしていました。モデル生物であるショウジョウバエは、ある特定の遺伝子をなくすとか、余分な遺伝子を加える操作が容易にできるので、遺伝子と形の関係を見つけやすいんです。

幼虫を解剖している様子。 
顕微鏡を通して観た幼虫の姿。

――昆虫への興味よりも先に「形への疑問」があったのですね。愛おしそうにハエの幼虫を見ていらっしゃったので、てっきり生来の虫好きかと思っていました

いまとなっては、ショウジョウバエの幼虫は特別な存在です(笑)。よく肥えた幼虫が、小さな口を動かしながら一生懸命にえさを探しているのを見ると、かわいいなと思います。

昆虫の仕組み・構造から得た発想をテクノロジーに応用できる

――昆虫のクチクラを研究すると、生き物の形が決まるメカニズムがわかるのでしょうか?

大学院を修了してポスドクになったときに、上司にあたる先生から「昆虫にしかないものを研究しても、生物学全般にインパクトをもたらす研究にならないのでは?」と指摘を受けたことがあります。

たしかに、外側の殻で体を支える昆虫と、内側から骨によって体を支えている人間はまったく違うもののように見えます。ただ、昆虫のクチクラも人の骨も同じく、一つひとつの細胞が細胞外に分泌したもので、分泌された物質自体は生きていません。また、その形が非常に精巧に作られ、多彩な構造をもっていることも共通しています。

昆虫のクチクラを研究することで、昆虫に限らず生物全般の「細胞の外に分泌され、体を支える存在」がどう作られているかという謎に迫れるのではないか。あるいは、迫るための基盤が作れるのではないか、と思っています。

――非常に基礎的な研究ですね。となると、社会での応用とは距離があるでしょうか?

意外にそうでもないんです。生き物に学んで新たなテクノロジーを開発する「バイオミメティクス(Biomimetics)*」への応用が考えられます。

*生体の組織・機能を模倣して材料開発などに生かすアプローチ

昆虫のクチクラは骨格や鎧としてだけでなく、多彩な機能を持っています。タマムシやモルフォチョウの鮮やかな金属光沢は色素ではなく、クチクラ表面の微細な突起などの「構造」が作りだしています。アメンボの足先の撥水性も、実はクチクラの構造によるものです。

このようなさまざまな機能を発揮する素材を人間が作ろうとすると、往々にして微細加工のために大きなエネルギーを必要としたり、有害な、あるいは希少な物質を使うことになりがちです。
でも虫たちはタンパク質などの自然界の素材を用いて、常温・常圧で複雑な構造のクチクラを作っています。おそらくクチクラの機能の多彩さこそ、昆虫が地球上で大繁栄できた理由の一つでしょう。

しかも、昆虫たちは細胞の中で細かい構造を作り上げてから細胞の外に分泌するのではなく、いったん物質を作って外に出したら放置しています。まだ研究の途上ですが、どうもクチクラには、タンパク質と糖類の結びつきや反発などによってひとりでに微細な構造が作られるような分子構造があるようです。

その素材やしくみを人間が模倣すれば、多彩な機能をもった材料が作れます。私が虫のやっていることを解明することで、工学分野や産業界の方々のご参考になればと思っています。

RA Potyrailo et. al., Nature Communications 6, 7959 (2015) CC BY 4.0 internationalより改編
左:モルフォチョウの翅(はね)の鱗粉(りんぷん)表面の走査電子顕微鏡画像 右:モルフォチョウの写真
鱗粉のクチクラの積層構造は光の干渉によって特定の波長の光を強く反射することで、美しい色彩を示す。このような色彩が生物同士のコミュニケーションなどに利用されると考えられている。

昆虫の体型の「進化」にも迫りたい

――今後は研究をどのように展開するお考えですか?

ショウジョウバエの研究も引き続き行っていきますが、別の昆虫のクチクラ遺伝子をショウジョウバエに導入することで、ほかの昆虫の体型や見た目とクチクラと遺伝子の関係についても研究していきたいと考えています。目下、金属光沢をもつキンバエで挑戦中です。

また、個々の体型の「今」を見るだけでなく、「進化」も追えると考えています。ナナフシは進化の過程でどのようにあの細長い姿になり、テントウムシはどのようにあの丸い姿になったのか。体型を決めるクチクラと遺伝子の関係から見えることはたくさんあり、次から次に新たな「わからないこと」が出てくるのがこの研究の楽しさですね。

――進学先や研究室選びに迷っている高校生や大学生にメッセージをお願いします

私が大学に入ったときには、物理や数学を専攻しようとぼんやりと思っていたのですが、大学でいろいろな分野を勉強するうちに「あ、私が前に気になっていたことは研究として成り立つな」とわかって、この道に進みました。

進路を選ぶときに就職に有利かどうかが気になることもあるかもしれませんが、学生時代の研究をそのまま就職先にもっていけるわけではありませんよね。糧となるのは、仮説を立て、どんな実験をすべきか考え、試行錯誤した「経験」だと思います。研究はうまくいかない局面も多くありますから、モチベーションを維持して取り組むためにも、自分が好きなことや気になることをじっくり探してみるのがいいのではと思います。

生き物の姿かたちに心惹かれる方、形と遺伝子の関係に興味がある方、昆虫の生命力の秘訣を知りたい方はぜひ研究室を覗きにきてください。

インタビュー / 執筆

江口 絵理 / Eri EGUCHI

出版社で百科事典と書籍の編集に従事した後、2005年よりフリーランスのライターに。
人物インタビューなどの取材記事や、動物・自然に関する児童書を執筆。得意分野は研究者紹介記事。
科学が苦手だった文系出身というバックグラウンドを足がかりとして、サイエンスに縁遠い一般の方も興味を持って読めるような、科学の営みの面白さや研究者の人間的な魅力がにじみ出る記事を目指しています。

撮影

関 健作 / Kensaku SEKI

千葉県出身。順天堂大学・スポーツ健康科学部を卒業後、JICA青年海外協力隊に参加。 ブータンの小中学校で教師を3年務める。
日本に帰国後、2011年からフォトグラファーとして活動を開始。
「その人の魅力や内面を引き出し、写し込みたい」という思いを胸に撮影に臨んでいます。

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