#次世代を創る研究者たち

自由な環境で育まれるアイデア
〜異分野融合で医療・創薬・材料工学の発展に挑む 千葉大学 大学院工学研究院 准教授 山田 真澄[ Masumi YAMADA ]

2022.08.24

目次

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世界レベルの業績を挙げる過程には、自由な環境とクリティカルシンキングを育む体験があったー。今回は、微粒子や細胞をコントロールするマイクロ流路デバイスや、創薬において有用な人工臓器をつくりだすための微小材料の開発を推進する山田真澄准教授にお話を伺った。

※経験や直感だけに頼らず、客観的な視点で分析し、問題を解決するとともに、その内容を周囲の人に納得感のある形で伝える力

実家は兼業農家、理系の家族

家にはちょっと変わった人物が存在した。

埼玉県の兼業農家に生まれ、小さい頃から家族に野菜作りの手ほどきを受けて育ちました。母方の親戚には医者が多くいました。父方の祖父母はもともと小学校の先生をしていたのですが、父親は農業をしながら理論物理学を研究している一風変わった人物だったのです。

このような環境で育つうちに自然と理系を選択したのですが、好きだった化学やバイオを実用面からも学びたいと思い、東京大学の工学部化学生命工学科へ。

そこで現在まで20年以上にわたり研究を続けるマイクロデバイス、そして今も共に研究する関 実先生(現千葉大学 大学院工学研究科 教授)と出会いました。

世界最先端のマイクロ流路デバイス開発者に

マイクロ流路デバイスとは、微量の液体を流しながら化学反応を行ったり、微粒子や細胞などを正確に操作することのできる装置で、半導体の加工技術を応用して作られます。

研究室に入った2000年当初はちょうど世界の研究者がマイクロ流路デバイスの開発に着手し始めた頃で、当時は研究の報告例もわずかでした。元々植物細胞の研究を行うつもりで研究室に入ったため、正直なところ「全くなじみのない技術だな」と思いましたが、仮説を立てて考えながらさまざまな微小な流路を作製する作業が自分にとても向いていました。次第に、複雑な流路でも設計した通りに機能させることができる面白さに快感を覚え、ミクロの世界にどんどんのめり込んでいきました。

その結果、たとえばですが、ほとんど差がないように思える直径1マイクロと2マイクロの粒子でも、大きさによって振り分ける流路を実現しました。そのときは「すごい応用を実現できた!」と、研究の手応えを感じたことを今でもはっきりと覚えています。この結果は、現在までつながる研究の基盤となっています。

何も知見がない状態から理論を積み重ね、マイクロ流路デバイスの開拓者となった。

「これまでにできなかったことを可能にする装置を開発したい」。これは今でも研究を進める上での大きなモチベーションです。それに加えて、私が専門とする「化学工学」という研究分野は、対象が化学合成であっても医療診断であっても、世の中に役立つものであればどのような装置を作っても評価されるため、この分野の懐の深さが、自由な研究開発につながっていると感じています。

血液細胞の分離装置
「遠心分離機を駆逐する」ような装置の実現を目指し、血液から血球成分を分離する使い捨てデバイスなども手がける。現場の作業効率が大幅に改善できる

マイクロ流路デバイスで培った技術をさらに応用。血管や肝臓などの細胞を、生体の環境を模倣した3次元での培養に成功した。

現在の研究の柱の一つとして、肝臓などの複雑な組織の模倣に取り組んでいます。実は、肝細胞の3次元培養をはじめたきっかけは当時の同僚のアイデアでした。学位取得後、私は日本学術振興会の博士研究員として東京女子医科大学に2年間在籍していました。マイクロ流路を用いて微小なハイドロゲルのファイバーを作製したところ、肝細胞研究のエキスパートだった同僚が肝細胞培養に応用してみては、と研究のアイデアを提案してくれたのです。

肝臓の組織はすごく複雑かつデリケートで、実験は本当に苦労の連続でした。最終的に、生体外で100日間にわたる肝細胞の機能維持を実現し、発表した論文はこれまで200回ほど引用され大きなインパクトを残せました。
doi: 10.1016/j.biomaterials.2012.07.068.

その後,細胞を培養するためのコラーゲン材料の微細加工にも取り組んでおり、現在もさまざまな人工臓器モデルの作製へと展開、創薬支援ツールとしての応用を目指しています。

当時所属していた東京女子医科大学の研究室には多彩なバックグラウンドを持った同年代の研究者がたくさん在籍しており、非常に多くのことを学び吸収でき、多様性や異分野融合の重要性を実感した2年間でした。

さまざまな人工組織の図
臓器の構造や環境をデバイスにより再現、創薬や再生医療を支援するツールとして期待される。

オリジナルのアイデアを追求する

留学のチャンスを得て、アメリカ・MITへ。そこは自分だけのアイデアを武器に、野心に燃えた研究者が集まる場所だった。

博士研究員の3年目には、世界のトップレベルの研究に触れるため、ナノレベルの粒子分離を手がけていたマサチューセッツ工科大学(MIT)・Jongyoon Han教授の研究室に11カ月ほど滞在しました。

MITでは、既に誰かが試したことや、アイデアの模倣には全く価値がなく、いかに人と違うことをするかが重要だという雰囲気を常に感じていました。また、教員や学生の間の垣根が低く、お互いに個別の研究者として尊重しあう関係性があり、さらにはアイデアを生み出すためのさまざまな仕組みがあることも貴重な経験になりました。

コーヒーブレイクは壁一面のホワイトボードの前で。MITには異なる研究室のメンバーと自由にディスカッションできる仕組みも整っていた。

たとえば、私がいたラボの建物では、コーヒーブレイクのための休憩場所の壁は全面ホワイトボードになっていました。そしていつも何かしらぎっしり書き込まれています。この場所は、いくつもの研究室が共同で利用していて、休憩をするたびに「見ない顔だね、どこから来たの?」と会話が始まると、あとは怒濤(どとう)の研究紹介が始まるという仕組みです。

ホワイトボードを使ってディスカッションしていると、時折「そんなのやっても意味ないんじゃないのか」「もっとこうしたらどうか」と核心を突かれます。自分の思考の甘さを突きつけられタジタジとなりますが、自分の思考がまさに試され、時には新しいアイデアが生み出される現場でした。このような仕組みがいくつもありました。

自分の頭で批判的に考え、常に新しいアイデアを追い求める。1年足らずの留学だったが、そこで得た研究に対する姿勢は今でも大いに役立っている。

MITでの一コマ
アメリカに行った当初はプレッシャーで苦しかったが、最後は日本に帰りたくないと思うまでに(一番右が山田准教授)

制限を作らず、自由で柔軟な発想で

マイクロ流体デバイス技術に対する自負はあり、また細胞の操作や医療応用に関する興味もありますが、「これらの両方にこだわらないこと」を心がけています。そのためマイクロ流路という手段を使わず、別の方法で開発することも多々あります。目的に応じて技術やツールを柔軟に選んだほうが、より自然で使いやすい装置が生まれる場合もあります。技術と目的の両方を固定してしまうと回らなくなりますから。

研究室では思いつかないようなデバイスの応用法を、企業様から打診されることもあります。これまでに多くの企業様から技術供与の機会をいただきました。新しいアイデアで社会へ貢献できる産学連携は大歓迎です。学生さんにとっても、最先端の技術開発に携われる素晴らしいチャンスです。

これからは、自由な環境を引き継ぐ立場に。

化学工学は自由な学問だと言いましたが、これまでお世話になった先生方のほとんどは、「何でもいいから、面白い研究をやろう」というスタンスで、自由に研究させてくれるタイプの方でした。

自由と言ってもお互い研究者なので、バチバチと意見を交わすこともありました。しかし、やりたいことを基本的に許容してくれました。研究者として尊重し応援してくれる環境はとても恵まれていたと思います。

これからは私が学生の皆さんを応援する番です。失敗を恐れずに、自由な発想でワクワクする研究をしましょう。

自由な環境と、留学で得たクリティカルシンキング、そして持ち前の柔軟さで多分野にわたるイノベーションを起こす。

けれども、研究の最も大切な目的は実用化に置いている。「現場が使いやすい装置が一番です」

インタビュー / 執筆

安藤 鞠 / Mari ANDO

大阪大学大学院工学研究科卒(工学修士)。
約20年にわたり創薬シーズ探索から環境DNA調査、がんの疫学解析まで幅広く従事。その経験を生かして2018年よりライター活動スタート。得意分野はサイエンス&メディカル(特に生化学、環境、創薬分野)。ていねいな事前リサーチ、インタビュイーが安心して話せる雰囲気作り、そして専門的な内容を読者が読みやすい表現に「翻訳」することを大切にしています。

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