#次世代を創る研究者たち

「エピゲノム修飾」のエラーが疾患を引き起こす?~生物学とデータサイエンスの二刀流で免疫のメカニズムに迫る 千葉大学 国際高等研究基幹 / 大学院医学研究院 / 災害治療学研究所 教授 小野寺 淳[ Atsushi ONODERA ]

#災害治療学#データサイエンス
2024.01.29

目次

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小学生のときに「自分は将来、好きな科学を仕事にしよう」と心に決め、その決意通りに研究者となった小野寺淳教授。ゲノムをとりまく環境「エピゲノム」に注目して、免疫に異常が起きるメカニズムや細胞分化の仕組みを研究してきた。これまでの数々の成果に対して千葉大学先進学術賞を授与されただけでなく、今後の活躍にも大きな期待が寄せられる理由のひとつは、生物学とデータサイエンスの“二刀流”とも言える研究スタイルだ。なぜ、まるで異なる二領域の組み合わせを実現できたのか? 小野寺教授に現在までの道のりを伺った。

免疫細胞の“修飾”から、病気の理由や背景を探る

――ご研究のキーワードである「エピゲノム修飾」について、簡単に教えていただけますか? 

人体の各細胞が、“生命の設計図”と呼ばれるゲノムからそれぞれの細胞に必要な情報を読み出し、人の生命活動を支えていることはよく知られていますよね。そして、ゲノムには情報の読み出しに影響を与える分子がくっついたり、もともとついていた分子が外れたりします。それを「エピゲノム修飾」と言います。

私が注目しているのは、免疫細胞のエピゲノム修飾、とくに「メチル基」という分子の着脱です。

生物の体では時に、メチル基によって情報読み出しがOFFになるような修飾が行われているはずの遺伝子領域で、メチル基が外れてONになってしまうことがあり、その逆も起きます。免疫細胞でそのような修飾のエラーが起きると、たとえばアレルギーのように免疫細胞が過剰に働いてしまう疾患を引き起こしたり、免疫細胞が働くべきときに十分に働かず、体内に侵入したウイルスの増殖を許してしまったりします。

免疫はすべての疾患に関わりますが、免疫細胞のエピゲノム修飾の不具合が人の健康にどんな影響を及ぼすのかについてはまだわかっていないことばかりです。私はそれを研究しています。

――医学の研究としては非常に基礎的な部分に注目しているのですね

たしかに、免疫の医学研究というと炎症が悪化するメカニズムや治療法の研究が主流です。私の研究はややマニアックかもしれませんね(笑)。

ただ、私はこの研究で、さらに根源的な生命科学の謎にも迫りたいと思っているんです。「生命の始まりはたった一つの受精卵で、どんなに分裂していっても各細胞が持つDNAの配列は変わらないのに、どのようにさまざまな細胞へ枝分かれしていくのか」という謎です。エピゲノム修飾が細胞の分化にどのような影響を与えているかを調べることで、いまの生物学の教科書には書かれていない知見にたどりつけるかもしれないと考えています。

生物学と情報学、“二刀流”の研究者ができるまで

――ふだん、どのように研究を進めているのですか?

遺伝子改変したマウスからDNAやRNAを採取し、次世代シーケンサー*という装置にかけて、その結果を解析します。解析のときに既存の手法を使うだけでなく、目的にあわせて新たな手法を開発することが私の研究のオリジナリティだと思っています。

*次世代シーケンサー: 人体に存在するゲノムは約30億塩基対から構成され、太古から受け継がれた遺伝情報が記録されている。このゲノムの配列情報を一度に数千万~数十億塩基読み取り、そこから個体の遺伝情報、ゲノムの変異、がんの進行など特定の情報を抽出したり、レポートの形にまとめたりすることが可能な装置。

――生物や細胞を扱う実験とデータ解析のどちらもできる人は非常に珍しいのでは。

そうですね、ピッチャーとバッターを同時にやるようなものかもしれません。でも、このスタイルは、研究者として独り立ちする前から自分の持ち味としてきわめていこうと思っていたんです。

――では、少し時をさかのぼって、この研究テーマとスタイルにたどりつくまでを教えてください。研究者を志したのはいつごろでしたか?

9歳のとき、父の仕事の関係で、しばらくアメリカで生活した時期がありました。英語を身につける間もなく渡米したため、学校生活にはずいぶん苦戦しました。最初の英単語のテストなんてひどい出来でした。先生の言葉がまるで聞き取れないから、テスト勉強のしようがなかったんです。

そこで、次からは勉強してテストに臨んだら、英語をペラペラ話すアメリカ人の同級生たちよりずっと点数がとれました。また、計算なら言語のハンデもありません。自分が得意なことで勝負すればいいんだ、ということをそのとき学んだような気がします。

日本に戻ってきて、自分が得意なことは何かと考えてみると、それは「勉強」でした。スポーツは好きで部活動もそれなりに頑張っていたけれど、プロになれるような気はしない。自分は勉強のプロになろう、と決めました。それが小学校高学年のときです。

生物より、数学や物理が好きだった

――中学・高校と進むうちに、生物学に興味が出てきたのですか?

いえ、ずっと数学や物理学の研究者になりたいと思っていたんです。でも高校を卒業して大学の教養課程で学んでいる時に、直近の10年、20年で生命科学が急激に進歩してきていることを知りました。

利根川進さんのノーベル生理学・医学賞受賞も、クローン羊のドリー誕生も、その10年間の出来事でした。数学や物理学の教科書が書き換わるほどの大きな発見は長いこと起きていないけれど、生物学の教科書は新たな発見でどんどん書き換わっている。

ならば生物学には自分が研究者として生きていくだけの受け皿がきっとある、と思って、大学では化学生命工学を専攻しました。複雑な生命現象を「物質同士の化学反応」として解き明かそうという分野です。

4年になって研究室配属があり、抗体を使う実験を数多くこなす中で、免疫って面白いなと思うようになりました。そこで、東大の工学部を卒業後、免疫研究が強いことで知られる千葉大医学部に編入学しました。

――工学部で4年間学び、医学部へ編入して4年間。そして大学院へ?

はい。大学入学から博士号取得まで12年です。日本の大学生活の平均と比べるとだいぶ長いですね(笑)。アメリカなどだとそう珍しくもないんですが。

分子1つの着脱で細胞のふるまいが変わるエピゲノム修飾の面白さを知ったのは医学部時代でした。中山俊憲先生の研究室でお世話になり、研究を基礎から教えて頂きました。そして大学院を修了するころ、生物学(バイオロジー)と情報学(インフォマティクス)を組み合わせた「バイオインフォマティクス」が興隆しはじめます。もともと数学や物理学が好きだった自分にとっては好機だと思い、これからは「バイオインフォマティクスを活用したエピゲノム修飾の研究」をやっていこうと決めたのがそのときでした。今も1論文あたり1つの新しい数式、あるいは1つの新しい解析手法を提示することを目指しています。もちろんテーマによりますが。

災害関連死を防ぐことも医学の使命

――2023年に、災害治療学研究所にも着任されました。ここではどのような研究を?

自然災害発生後は長期にわたる避難生活で健康を損なう方も多く、高齢の方ほどそのリスクは高くなります。そこで私は、エピゲノム修飾の異常と体の老化はリンクしているという仮定のもとに、避難した高齢者の方々の遺伝子検査をその場で行い、エピゲノム修飾の状況から、実年齢よりリスクが高い方をいち早く発見する方法を開発できたらと考えています。

また、これまではどうしても高齢者に注意が集まりがちでしたが、成長期に十分な栄養がとれないことによる身体的な影響や転校による社会医学的な影響など、災害は子どもの健康にも大きな影響を与えてしまいます。こうした見逃しがちな点にも目を向け、全世代のライフステージに応じた災害ヘルスケアを実現するための研究も必要だと思っています。

最近、千葉大学環境リモートセンシング研究センター(通称リモセン)の先生とお話しする機会があり、台風の進路を決めるアルゴリズムと、細胞の分化のアルゴリズムが似ていることに気づいたんです。台風の進路予想も、周りの気圧の数値データによって決まる。細胞の分化も遺伝子発現のパターンの数値データによって決まる。そういう共通点が面白いですね。リモセンの先生と一緒に気象データを集めて、私の細胞分化に関する研究を関連づけるなど、部局をまたいだ異分野連携ができるのではと期待しています。

学外の他組織との共同研究の場としても活用して、常に新たな研究の糸口を探し、挑戦していきたいですね。研究者は、同じところにとどまっていたらダメじゃないかなと思うんです。一緒に新たな挑戦に挑み、研究してくれる学部生・大学院生の方を募集しています。医学部以外の出身で、専門知識を活用して生命現象を解明したいと考えている学生さんも大歓迎です。

インタビュー / 執筆

江口 絵理 / Eri EGUCHI

出版社で百科事典と書籍の編集に従事した後、2005年よりフリーランスのライターに。
人物インタビューなどの取材記事や、動物・自然に関する児童書を執筆。得意分野は研究者紹介記事。
科学が苦手だった文系出身というバックグラウンドを足がかりとして、サイエンスに縁遠い一般の方も興味を持って読めるような、科学の営みの面白さや研究者の人間的な魅力がにじみ出る記事を目指しています。

撮影

関 健作 / Kensaku SEKI

千葉県出身。順天堂大学・スポーツ健康科学部を卒業後、JICA青年海外協力隊に参加。 ブータンの小中学校で教師を3年務める。
日本に帰国後、2011年からフォトグラファーとして活動を開始。
「その人の魅力や内面を引き出し、写し込みたい」という思いを胸に撮影に臨んでいます。

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