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“たかが生理痛”にひそむ病気から女性を救いたい~臨床、研究、社会への働きかけを軸に「子宮内膜症」からの解放を目指す 千葉大学 大学院医学研究院 教授 甲賀かをり[ Kaori KOGA ]

2025.05.26

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※記事に記載された所属、職名、学年、企業情報などは取材時のものです

「生理痛が辛い」だけでは病院に行かない人も多いだろう。でも、それが日々のQOL(Quality of Life=生活の質や幸福度)を大きく下げるだけでなく、将来の不妊を引き起こすとしたら――? 元々は産婦人科医としてキャリアをスタートした大学院医学研究院の甲賀かをり教授は、現在では生理痛の主な原因となる子宮内膜症の研究とともに、生殖医療に関わる新センターの立ち上げや後進の育成、社会への啓発に力を注いでいる。

子宮内膜症を克服するための研究と、共存するための研究

――臨床、研究、教育に啓発活動と、実に幅広く活躍していらっしゃいますね。

特定の疾患の研究を一筋にしている方と比べると、やっていることの全体像をつかみにくいかもしれませんね(笑)。とはいえ、私がずっと基礎医学の研究として取り組んできたのは子宮内膜症という疾患です。周期的に子宮の内側に作られるはずの粘膜が外側にできてしまう病気で、月経痛を引き起こし、将来の不妊の原因になることもあります。

――“生理痛なんてあって当たり前”と思って病院に行くことをためらう人も多いですが、不妊の原因になるなら放置してはいけないですね。

はい。月経痛のすべてが子宮内膜症由来というわけではありませんが、強い痛みがある方はぜひ婦人科を受診していただきたいです。日常生活に差し支えるほどの痛みにはきちんと対処したほうがいいですし、子宮内膜症は卵巣機能に悪影響を及ぼす可能性があるからです。

――病院にかかれば、子宮内膜症は治せるのですか?

まさにその研究が私の専門分野です。世界中の多くの研究者が、子宮内膜症の原因をつきとめ、治療法を開発しようとしていますが、根治はそう簡単なゴールではなく、長い道のりになりそうです。

一方で、子宮内膜症はがんなどと違い、単体で患者さんの命をおびやかすものではないので、研究者としては「疾患を根治するための研究」と並行して、(疾患はあるけれども)月経痛や不妊といった「患者さんの困りごとを解消するための研究」にも軸足を置いています。

――たとえばどんな方法がありうるのですか?

すでに行われている対処法としては、ピル*の服用によって子宮の膜を新たに作る動きを止める、すなわち生理を止めます。昔の女性に比べ、現代の女性は初経が早くて初産が遅い。一生涯に産む子の数も少ないので、月経回数は100年前の女性のおよそ10倍にも及ぶのです。

出典:日本女性薬剤師会2024年度「臨床薬学」研修会『薬剤師さんに知ってほしい月経に異常をきたす女性の疾患の断と治療子宮内膜症・子宮筋腫・子宮腺筋症について』より

*ピル:正確にはピルは避妊用の薬を指し、治療用のピルは「低用量エストロゲンプロゲスチン製剤」と呼ぶ

もう一つは月経に伴う痛みを取り除くこと。鎮痛剤をうまく使うのも一つの方法ですが、現在私たちは、痛みを緩和する機器を開発したスタートアップ企業と連携し、その機器が月経痛にも効果があるかどうか、共同で臨床実験を行っています。生理痛が強いけれど薬が効きにくい、薬の副作用が心配、不妊治療中でピルが使えないといった理由で、日常生活に支障をきたしている多くの方々にとって、新たな選択肢となることを目指しています。

月経痛の緩和効果を検証する臨床実験で使用している機器

――将来の不妊を防ぐにはどうしたらいいのでしょうか。

子宮内膜症が卵子に悪影響を与えて不妊を引きおこすメカニズムはいまだ不明です。そこで、私の研究ではマウスや細胞を使った実験によって何が起きているのかをつきとめ、その抑制方法を探ろうとしています。

また遺伝子や腸内細菌などのビッグデータを活用して、不妊になる人とならない人の違いはどこにあるか、薬が効きやすい人とそうでない人の違いはどこにあるのかなどを解明するための研究も行っています。

いまはウェアラブル端末*で自動的かつ継続的にご自身のヘルスデータを記録している人や、アプリなどで基礎体温や排卵日を記録している女性も多いので、運営企業にそうしたデータを個人が特定されない形でご共有いただくことで、大学病院内で得られるのとは桁違いの量のデータを使った共同研究も可能になってきています。

*スマートウォッチなど、手首や顔などに着用して使用する電子機器のこと

婦人科系の疾患は光が当たりにくく、誤った情報が広がりやすい

――いずれにせよ、対処の出発点は重い生理痛があるならば、婦人科にかかることですね。でもかかりつけの婦人科がない女性も多そうです。

その通りです。月経痛にせよ、月経前症候群(PMS)にせよ、更年期障害にせよ、婦人科系の困りごとは公の場で光を当てられることが非常に少なく、黙って耐える人が多かったですよね。昨年のNHKの朝のドラマで、主人公の女性が月経痛に苦しむ場面が描かれ、画期的なことと評判になりました。例えば花粉症が誰でもどんな場でも話題にでき、気軽に耳鼻科に行けるのとは対照的です。

婦人科系の困りごとに関しては医師よりも家族や友人からの情報に頼ることが多くなり、専門的な知識に基づかない誤った情報や、一人の経験談が都市伝説的に広まってしまいやすいことが大きな問題です。

正しい情報を届けるには啓発活動が重要ですが、私がいくら頻繁に講演をしてまわっても直接伝えられる人数には限界があります。それに人は目の前にいる近しい人の話を信用するもの。婦人科にかかった友達が「痛いから病院に行ったのに、先生からたいしたことじゃないと言われた」と言っていたら「生理痛で婦人科に行っても冷たくあしらわれるだけなんだ」と思ってしまうでしょう。

現場のひとりひとりの医師が、目の前の患者さんだけを診るのではなく、その患者さんの周りの人が自分の言葉を伝え聞いたときに誤解しないよう、「あなたの症状は心配の必要はありません」で終わりにせず、「深刻な病気でなくてよかったですね」と明確に意図を伝える配慮が大事だと考えています。

公衆衛生学や心理学、経済学も活用して、社会と女性のためのエビデンスを積む

――公衆衛生学的な研究も実施されていると伺いました。

私自身は公衆衛生学の専門ではないので、研究チームのメンバーを専門の研究室に派遣する形で実施しています。これまで月経痛に対しては、ホルモン剤を処方するかどうかにかかわらず診療報酬は同じでした。しかし最近、適切な説明のもと、ホルモン剤を処方することに対して診療報酬が加算されることになりました。そこで私たちは、診療報酬加算によって実際にホルモン剤処方が増えたかどうかを探る公衆衛生学的な研究にも乗り出しました。

その結果、診療報酬加算導入後に処方は増えていました。この研究は、国がどのような施策をとると現場の医師の判断が変わるのかがわかるエビデンスとなります。このような診療報酬加算は、患者さんにとっては数百円の負担増にはなりますが、長期的にQOLが上がります。将来の不妊リスクの可能性を下げられることを考えれば、総合的には大きなメリットのある施策と考えていいと思います。

月経痛やPMS、更年期障害は、本人や家族はもちろん、社会経済的にも影響があるのに、それがどの程度のものなのかがあまり可視化されていません。本人、または女性を雇用している企業にとってのダメージを数値化することによって、「対処すべき問題なのだ」と社会に知ってもらうことが、解決しようという動きを作る力になります。

――生理休暇を導入している企業も増えていますが、利用率は低いようですね。

はい。企業としてはせっかく導入した制度を活用してほしいのに、女性たちには全然使われない。ならば、使われやすくするにはどんな仕組みや配慮が必要なのかについても私たちは研究しています。人間の行動変容を促進することを目的とするので、心理学や経済学の知見も必要とする融合研究です。

――学問領域のまたぎ方が大胆ですね。

基礎的な医学研究に臨床研究、公衆衛生学などの社会医学的な研究、子宮内膜症に関してだけでなく、HPVワクチンの啓発活動など、気になること、やりたいことはたくさんあるんです。どれも自分だけではできませんし、私は熱意でひとり突き進むタイプというわけでもない。

でも「こういうことがやりたいんだけど、できないかなー」とずっと発信し続けていればどこかのタイミングで、それをキャッチし、協力してくれる人が見つかるんですよね。たとえば、HPVワクチンの啓発をどうにかしたいと発信していたら「HPVのことはわからないけれど風しんワクチン啓発の経験が役に立つかも」といって力を貸してくださった方がいました。

さまざまな「やりたいこと」をすぐに自力で次の展開に進めることはできなくても、誰かがつないでくれるかもしれないし、あとから自分で点と点をつないで線にすることができるかもしれません。だからこの発信に意味があるかないかを考えて立ち止まるより、いつでも発信してみようと思っています。女性の健康とQOLを支えるためのエビデンスを積み、婦人科にまつわる正確な情報にアクセスしやすい社会に変えていきたいですね。

● ● Off Topic ● ●

 

昨年、センター長に就任されたリプロダクション支援センターとはどんなセンターなのですか?

 
 

もともと男性の不妊は泌尿器科、女性は婦人科と分かれていたのですが、このセンターでは2つの科をまたいで、医師同士がお二人の医学的所見を正確に共有しながら治療に取り組めることが特長です。

 
 

「ワンストップ」を謳ってらっしゃいますね。

 
 

はい。たとえば、糖尿病の方が「このまま妊娠しても大丈夫だろうか」と不安になられたとき、このセンターでは、糖尿病の担当医と婦人科の医師がコンタクトをとった上で今後の治療方法のご相談に乗ることができます。

不妊や遺伝性疾患を専門とする看護師もいますし、治療費助成の情報に詳しい専門職にもご相談いただけます。生殖にかかわる選択をご本人が主体的にできるように、多職種で支えるセンターなんですよ。

 

千葉大学医学部附属病院 リプロダクション支援センター

https://www.ho.chiba-u.ac.jp/hosp/section/reproduction/index.html

インタビュー / 執筆

江口 絵理 / Eri EGUCHI

出版社で百科事典と書籍の編集に従事した後、2005年よりフリーランスのライターに。
人物インタビューなどの取材記事や、動物・自然に関する児童書を執筆。得意分野は研究者紹介記事。
科学が苦手だった文系出身というバックグラウンドを足がかりとして、サイエンスに縁遠い一般の方も興味を持って読めるような、科学の営みの面白さや研究者の人間的な魅力がにじみ出る記事を目指しています。

撮影

関 健作 / Kensaku SEKI

千葉県出身。順天堂大学・スポーツ健康科学部を卒業後、JICA青年海外協力隊に参加。 ブータンの小中学校で教師を3年務める。
日本に帰国後、2011年からフォトグラファーとして活動を開始。
「その人の魅力や内面を引き出し、写し込みたい」という思いを胸に撮影に臨んでいます。

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